父へ 60代 長野県 第13回 金賞

あの時の涙を忘れない
小林 民子 様 69歳

 今年も、あの八月十五日、終戦の日がやって来ました。

ずっと同居していた、夫の父である義父は、昨年九月九日に、満百歳で天寿をまっとうし天国へ旅立ちました。

この義父は、終戦を目前にした昭和十九年、太平洋戦争の折、中国にて敵兵に撃たれ、二十五歳の若さで左腕を無くしていました。その時、敵の小銃弾による左腕貫通銃創にて負傷したにもかかわらず、川を渡り仲間に追いつき、野戦病院に収容されたという驚異のエピソードの持ち主です。ここで手当てを受けたが傷が悪化、無念の左腕切断に至り、十ヶ月後に退院して日本に戻り、陸軍病院にて加療に専念、終戦となったそうです。

私が嫁いで来てから感じたのは、義父はとても器用な人で、何にでも、何度でも挑戦する人でした。三十代で障害者用のバイクの免許を取得すると、八十代の後半まで自分の足としてフル活用していました。小型の農機具は、管理機や運搬車、そして除雪機まで右手のみで操作してくれました。本当に感謝しています。

こんな器用な義父でしたが、自分の力では出来ない事が二つありました。

一つは右手の爪切りです。これは私が嫁いでから亡くなる二日前まで私が担当しました。

もう一つは合掌です。毎年終戦の日、義父は戦地で生命を落としたり、異国の土となり遺骨も戻らなかった戦友の無念を思い、長い時間、黙とうを続け冥福を祈っていました。

そして昨年は、家族との別離がいつの間にか射程距離に入っていたのでしょうか? 突然、右手を立てて拝み始めたのです。そう、義父のもう一つの不可能は合掌でした。人間は傍らの弱々しい生命に出合うと、骨身を惜しまず、いたわりたくなるんでしょうね。私は咄嗟に介護ベッドにいる義父の背中を右手で支え、義父の右手に私の左手で合掌しました。義父の目からは一筋の涙が私の手に落ちました。私の目からも大粒の涙が。

最後に「いい人生だったよ、ありがとう」の言葉が、その後一ヶ月程して義父は家族に見守られ、この世を去りました。

「ありがとう」

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