母へ 70代 滋賀県 第9回 銀賞

感謝とお詫びで─
上西 加代子 様 71歳

 日本が戦争に負けていなかったら朝鮮で親子六人それなりに平和な暮らしが送れていたかもしれない。引き揚げて裸一貫からのどん底の苦労、そして私は生後一ヵ月にも満たず、「今ならこの子は目が見えてない。そっと海に流してやりなさい」と、周囲の人達から言われて、「この子の命あるところまで連れて帰る」と、父と母は過酷な苦労をいっぱいねじ伏せて私達を育ててくれた。生き地獄の如く苦しくても心は常に豊かだった。父と母は息を引き取るその時まで、他人さまはむろん私達にも「怒る」ということを決してしなかった。私の想像ではあるが、荒狂う波しぶきの中、やみ船で親子六人無事日本の地を踏めたことが最高の感謝、これ以上の幸せはないと、ひたすら頑張ってくれたのだろうと思える。故にこうした人間像として人様から尊敬されていたのだろうと思っています。

母は、十五才までに両親を亡くし、十八才で結婚、異国の地朝鮮で終戦を迎えた。

私は今も尚、詫びても詫びても涙が溢れます。涙で浄化しようとしているのです。反抗期の時とはいえ、私は言ってはならぬ大きな罪を犯してしまった。「なんで私なんか産んでくれたのよ。引き揚げる時、海に捨ててくれて良かったのに」と。母の無言でぞっとするような悲しげな後姿。「本当に本当にごめんなさい」。

母は「私の葬式の準備して─、ありがとう幸せだった」と、危篤状態にあり乍(なが)ら、酸素マスクを引っ張って最後の力をふり絞って私達に頭まで下げてくれた。私はなす術もなくただ号泣していた。

どうして最後の最後までそれ程まで毅然としていられたのでしょうか、我が母は。人様に迷惑をかけず、真面目に自分なりに頑張って生きれば、「神様は見守っていて下さる」と。父と母の背中から私は、人生最も大切なことを学んだ。これ以上の宝物はないと確信している。

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