父へ 60代 富山県 第9回 銀賞

加納 泰子 様 68歳

「運転手さん、ちょっと止めてくれんけ」。四十年前、そう言って花嫁を乗せた車を、橋の手前で止めたのを覚えていますか、お父さん。そして花嫁の私に、「この橋を渡ったら、もう帰ってこられんがだぞ。今ならまだ間に合う。後の事なら何も心配しなくていい。もう一回、考え直してみられ。子供の事を心配しているがやったら、なぁに、子供の一人ぐらいなんとかなるちゃ。お父さんも、お母さんもまだ元気や。大丈夫育てていけるちゃ」。

あの時、本当は戻りたかった。彼とは育った環境の違いからか、すでに価値観のずれに悩み、その家族と何度も会っているうち、一緒に生活していくことへの苛立ちを感じていました。でも、私のお腹の中の小さな命から、自分の都合だけで父親を奪ってはいけないと思っていました。だから、「このまま行ってもいいがか? 本当にそれでいいがやね?」

と、念を押すように言ったお父さんの言葉に、「うん」と頷き橋を渡ったのでした。

緩いカーブを描いた橋の上から、彼の家が見えました。花嫁を迎える為に張られた紺色の幕を目にし、もう後戻りはできないと思いました。そして、お父さんの言葉が笑い話になるように努力しようと決意(おもい)を新たにしたのでした。

でも、だめでした。嫁は誰でもいい。都合の良い時に利用さえできれば。彼や彼の家族のそんな当たり前をどうしても受け入れることができませんでした。そして、二人の子供が自立したのを機に、私は誰にも言わず一人で二十五年前に渡った橋を返(もど)りました。

お父さんが末期のガンで入院したのは、それからちょうど一年後でした。何も知らない筈のお父さんが私の顔を見るなり「あんた、良い顔になったね」と。その嬉しそうな和らいだ声を耳にした途端、涙が溢れ止まりませんでした。そして「過ぎた事は、もういいちゃ。あんた、良い勉強したね。でもけんか両成敗やぞ」と言って、後は何も言わなかったよね。

お父さんとお母さんが逝って十四年。私も四捨五入したら七十です。後どれだけかしたらお邪魔します。その時は、例の口調で「バカヤロウ、男が男をみたらわかるがやと、あれだけ言ったやろう」と、思いっきり叱って下さい。

お父さんの娘より

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