母へ 80代 群馬県 第6回 入賞

母の置き土産
斎田 昌男 様 84歳

 私の子供の頃、育ち盛り食い盛りの五人の兄妹は、母ちゃんの作る料理を楽しみにしていた。けんちん汁、大学芋、オムレツ、焼きまんじゅうなど、なかでも十八番の料理は焼売(しゅうまい)だった。この味は格別で、風味があってまろやかです。これを私たちの誕生日に作るのでその日が待ち遠しい。母ちゃんは横浜生まれで、祖母から焼売の作り方を伝授されたとのこと。祖母は中国の料理人と親しくしていたようですね。だから本場の味が出せるのです。長兄が出征する前夜、母は食料不足のなか工面して焼売を膳に出した。私達は目を丸くして舌なめずりをしたものです。それが最後で終戦後の安定した世の中になるまで、お得意の料理は作れませんでした。終戦の年、次兄の戦死を耳にした母は遺影を抱きしめて慟哭(どうこく)した。そして七回忌に亡き息子の墓前に焼売の皿を置き「たんとおあがり」と手を合わせていたのを覚えていますよ。

母は七十一歳の早春、この世を去った。脳出血で意識不明のまま安らかに息を引き取った。通夜の準備が終って一休みした時、義理の姉が焼売の材料を大盛りにした皿を私の前に出した。「おばあさんが倒れる前に、楽しそうに焼売の仕込みをしていて、『昌男の誕生日のお祝いに作っている』と言っていました。これが最後のお料理です」と。私はぐっと胸に迫るものがあり、死に顔をみつめて小声で語りかけたのを覚えているかい。

「おふくろ、ありがとう。この歳までよくぞ私の誕生日を覚えてくれました。それに大好物の贈り物、喜んで頂戴しますよ。それにひきかえ、親孝行の真似事もできずじまい。焼売がお別れの料理になったね、嬉(うれ)しいよ、ありがとね、おふくろの最高の料理を大事に大事に食べることにするよ」と。落ちる泪(なみだ)の先に「おふくろの置き土産」がロウソクの明かりに輝いていましたよ。

 

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