父へ 70代 福岡県 第15回 入賞

忘れられない日
金川 久代 様 77歳

父さんが旅立った年令に近づきましたよ。でも、まだ父さんに近づけてはいません。今でも「父さんならどう解決しただろう」と思うことも多々、私の心の拠り所です。

 父さんは常に子供第一に、全力で向き合い、どんな時も優しく包み込んでくれました。時に、木琴、笛、カスタネット、尺八まで手作りして、一緒に演奏を楽しむ音楽仲間であり、学校の授業に合わせて、アルファベット、九九、百人一首まで模造紙に書いて壁に貼り、一緒に覚えてくれる先生であり、手品の道具を手作りし、子供達がビックリするのを見て満足するマジシャンでもありました。無いものは作ればよい。楽しみは見つけ出すものと、何事にも手を抜かず挑戦する父さんは、不可能を可能にするスーパーマンでした。貧しかったけど、ワクワクした思い出ばかりです。

 でも、一日だけ忘れられない日があります。それは「私が働くようになったら、楽にさせる」と心に誓った日でもあります。

 父さんは顧客の注文を受けては刻印を造り、納める仕事をしていました。家計はゆとりがなく、集金しては滞っている支払いをするという状況に「あのまま大企業にいてくれたらこんな苦労はなかったのに」と母さんが愚痴をこぼすこともありました。

 ある日、私達が目覚めた時にはもう自転車で出かけていた父さんが、夜遅くなっても帰って来ず、皆が食卓を前に「何かあったのでは」と心配していた所に帰って来た父さん。汗臭く、上着は湿っていました。足どりも重く、夕食にも箸をつけなかった父さんが、皆が食べ終わるのを待って「すまん、集金した金を落とした」と両手をついて頭を下げました。「明日は学費を持って行ける」と心待ちにしていた気持は消え「父さんは私達の為にこんな遅く迄頑張っている」と泣きながら子供達皆で抱きついた時、父さんの涙をはじめて見ました。翌朝母さんに「どうも三太郎峠で、自転車に乗ったり、押したり繰り返していた時に落したかも知れん」と話しているのを聞き、学校の図書室で、三太郎峠を調べました。そこには、太郎と名のつく三つの険しい峠が連なり、街道の難所であると書いてました。

 十数年前、親戚の葬儀で、はじめて車で三太郎峠を通りました。今はトンネルが開通し楽に短時間で通れるこの道を、お金を落した父さんが自転車を押して通ったのかと思うと辛く涙が溢れました。辛かったね父さん。スーパーマンの父さんも、弱々しい父さんも、私の誇りです。有り難う父さん。

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