母のベッドは、脱け殻だった。手を入れてみた。すっかり冷たくなっていた。同室の二人にあいさつをと思ったが、二人共、空ろな目を向けるばかりだった。
昭和六十二年三月。卒業式を直前にした日だった。病院から、様子がおかしいのですぐに来て欲しいとの懇願の電話に、とりあえず駆けつけた。
「ひろや。家に帰りたい。父つぁまが呼んでるべ。連れて帰ってくんろ」
母の、はちきれんばかりだった腕は、か細く、血管だけが、青く浮き出ていた。
「卒業式が終ったら、必ず連れて帰るからな。あと、一週間がまんしていてな」
兄は、心臓病で入院。弟達は、職務上休めず、母の頼りは、私だけだった。
「今度、母さんの好物の芋羊羹(ようかん)買ってくる。そうだ。母さんを温泉へ連れて行ってやる。辻の、お地蔵さまへもお参りすんべな」
母は、私に手を合わせた。
「いまよ。たよりは、ひろだけだ。みんなは顔見せねえな。どこさ行ったんだべな」
母の下着が濡れている。多忙なために、看護師さんの手がまわらないらしい。あれほどに毅然としていた母が。婦人会総会で胸張って、あいさつを述べていた母が、その母が、男の子の私に、オムツを交換してもらっている。もう、羞恥心もなく、赤ちゃんがえりをしてしまったのか。私は、泣きたくなった。横を向いていた母。その母を見て、私は息をのんだ。母の頬に、一筋、二筋の涙が。痴呆気味とばかり思っていたが、それは、家に帰りたい一心の、母の切ない演技と知り、胸がしめつけられた。
卒業式前の三月二十三日、午後八時、母永眠。
(ごめんな。何もしてやれなかった)
涙がとめどなく流れた。母の顔に、かすかな笑みが。母の手には、何度も読み返したのだろう。旅のしおりがしっかり握られていた。