親父へ。もうすぐ親父が逝ってから二年になるけれど家族の太陽だったはずの親父の笑顔が俺にはどうしても思い出せないんだ。お袋には思い出せるのに。
85歳ぐらいまであんなに元気で家の乾物と雑貨の商売に現役で携(たずさ)わっていたのに最後の二年間の変わりようがあまりに急激だったので思い出したくないからか。
認知症というのは残酷な病気だと思うよ。だって親父を親父じゃない人に変えてしまうんだもの。いつも家族を思いやってた親父が別人のように身勝手になって。
それが病気のせいだとわかっていても、俺もお袋も親父を怒ってしまった。親父に厳しくあたってしまった。すまなかった、親父。許してほしい。
人間の身体全てを司(つかさど)る脳が萎縮していくのだから発症すれば余命もそんなに長くはないという事実を、俺もお袋も知らなかった。でも知っていたら違っただろうか。
たぶん知っていたとしても、親父らしくなくわがままな親父のことを、俺もお袋も認めなかったと思う。知っていたとしても厳しく向き合っていたと思う。
それほど親父のことが大好きだったんだ。お金に縁が無かろうと、お人よしで何度も他人から騙(だま)されようと、家族のために必死で取り戻そうとする親父の姿が。
なんだかこうして手紙を書いていたら、ぼんやりと親父の笑顔を思い出してきたよ。手紙を書くっていいもんだね。メールはもう二度と打てないしね。
東日本大震災で消防士だったお父さんが行方不明になってしまった10歳の女の子の手紙を読んだんだ。それで、俺はなんて幸せだったんだろうって思った。
親父は俺が51歳になるまで生きてくれたんだもの。それだけで感謝しなけりゃな。だって子どもにとって親は、そばに居てくれるだけでいいんだもの。
その笑顔が思い出せた。お袋には思い出せる理由もわかった。親父、長い間そばに居てくれてありがとう。