九十二才で父が逝って二十五年、父がいつも口にしていた言葉「人様を大切にし尽くすことで喜んでもらうこと」父は身を持って教えてくれました。六人の子どもには厳格そのものの教育、父も自分には厳しく規範の生涯でした。父は勉学に励み、当時の高等科に進学したものの、父親が病弱だった為、止むなく中退、農家を継ぐことになったとのこと、無念だったことでしょう。
両親、父の兄弟十二人家族を養うために苦労の連続でした。父の働く姿を見るにつけ、長女の私は両親を少しでも楽にさせてあげたいと必死でした。父は近隣、親戚に問題があると声がかかりいつも相談役を務めていました。そんな姿を見て、今八十三才になった私は、父の生き方、言葉をそのまま受けついでいます。周りの人に頼られ、必要とされ、相談相手をさせて頂き、多くの人宝に恵まれ、幸せいっぱいの毎日です。これぞ父さんからの無形の財産、尽きることはありません。
本当に感謝の一言です、ありがとう。
父が老衰で床につき、亡くなる前一ヶ月は毎日往復二時間の実家へ通い見舞いました。
亡くなる当日、父の背中をさすっていた時息苦しさが伝わって、一瞬の間に息を引き取ってしまったのです。大往生でした。
父さん長い間お疲れ様でした。
生前「澄江には世話になったなあ、ありがとよ、体に気をつけてなあ」と何回も言ってくれました。私はこれからの人生、世の為、人の為に、自分に出来ることを頑張って行きます。父さんの生涯、言葉は私の大きな無形の財産です。本当にありがとう。
合掌