父へ 60代 埼玉県 第6回 入賞

ありがとう お父(どう)
小玉 健二 様 62歳

 私が小学生だった昭和三十年代。雪国の秋田では、農閑期になると出稼ぎが盛んでした。

いつだったか、母から「明日からお父は神奈川に出稼ぎに行くからな」と言われ、私は荷物をまとめるお父の背中にまとわりつきました。

そして半年。カレンダーにマルをつけていたお父の帰る日。朝から今か今かと待っていても、お父は帰ってきません。やがて夕方、田圃(たんぼ)の畦道(あぜみち)を大人の影が近づいてきます。それは、大きな荷物を三つもかかえたお父でした。「お父が帰ってきた――」その夜は母も嬉しそうで、夕食は豪華なキリタンポ料理。お祖父ちゃんも兄も弟も笑顔の夕食です。そして私へのお土産は、お父に手紙で頼んでいたメンコでした。

それから十数年。三人兄弟は東京に就職し、無愛想な男三人は、何年も父母に連絡もせず、盆暮れにも帰りません。やがて、お祖父ちゃんも亡くなって、数年後。母からの電報「父、危篤すぐ帰れ」。急いで病院に着くと、お父はもう意識がなく、眠っているようでした。「お父……」そして二日後、お父は天国に旅立ちました。

戦争に行き、輸送船が沈められ、海上に三十時間も漂い、辛うじて生還したお父です。

今、私もお父と同じ位の年になり、お父とお母に心から感謝の気持でいっぱいです。紅白歌合戦でヨイトマケの歌を聞いた時、工事現場で働くお父の姿を思い、目頭が熱くなりました。

今年のお盆に帰省した折、お父の墓に手を合わせました。

『大好きなお父、ありがとうお父』

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