母へ 60代 神奈川県 第14回 銀賞

一つだけの約束
大髙 敏夫 様 60歳

 お母ちゃん。報告です。私は、今年定年退職を迎えました。

 あなたは脳腫瘍を患い、闘病生活を数年続け、私が八歳の時に亡くなりました。私の幼い時のあなたとの思い出は、家か病院で横になっている姿が多く、短い期間に凝縮されたものでした。その中でも決して忘れられず脳裏に焼き付いた思い出があります。

 幼い頃の私は、あなたの隣で寝ていましたね。私があなたの胸元に潜り込むとそっと手を添えて抱いてくれることがありました。でもある日、気がつくと背中を向けて苦しそうにしていました。

 「お母ちゃん、具合悪いの? 」

 と聞くと、

 「大丈夫。頑張るからね。敏夫も頑張って」

 と言って私の方に振り返り私を胸元に引き寄せました。その時のあなたの頬が濡れていたのに気がつきました。私は驚いたけれどもどうすることもできず、

 「うん。頑張るよ」

 と一言だけ答え、体を丸めました。あなたがまた背を向けたので、おんぶでもしてもらうようにあなたの背中にしがみついていました。幼い私は、ただあなたの背中で声を立てずに、涙を流していたのを覚えています。それが、あなたとのたった一つしかできなかった約束となりました。

 闘病中は、つらい姿を子どもには見せぬように頑張りましたね。どんなにか私達子どものことが心配で、たまらなく切なかったことでしょう。

 あなたが息を引き取った時、あなたの目から涙がこぼれていました。私はそれを見たときに泣くのを我慢して心の中で誓いました。

 「お母ちゃん。僕どんなことにもくじけないで頑張るよ。心配しないで見ていてよ」

 あれから、五十年以上経ちました。振り返るとあなたとの一つだけの約束に応えたい一心でここまで生きてきたように思います。

 お母ちゃん。私はきちんと約束を守れてこられましたか。あなたの子も、私の妻も孫もみんな無事でいます。今まで心の支えになってくれて本当にありがとう。まだもう少し最後まで頑張るから見守っていてください。

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