兄の子どもたちの母親代わりとなり、家事を引き受けてきたお母さんに起こった異変を知らされ、「ああ、ついに—」と心が震えました。夫や子どもたちに納得してもらい、あなたを迎えに故郷へ帰りました。いくら娘や孫たちの中で暮らすとはいえ、八十歳近くなってから遠く知らない町で暮らすのは、大きなとまどいがあったことでしょうね。我が家に来てから、お母さんの認知症はだんだん進行して、二年後には食べることも排泄も睡眠も、色んなことがおかしくなっていました。
ある夜中、私は寝不足な体を励まして、お母さんのおむつを取り替えました。私より重いお母さんの体を横向きにして濡れたおむつをはずす時、私の動作が荒っぽかったのを覚えていますか。私が内心ハッとしたとたん、お母さんが「まあ」と小さい声で言ったのです。「まあ乱暴な」と言われたように思えて、自分を恥じながら丁寧におむつを替え終わりました。あの時は本当にごめんなさい。
またある日、お母さんは食事の後すぐ何か食べたいと騒ぎだしました。「もうちょっと待ってね」となだめていた時、お母さんはいきなり「抱っこして」と言ったのです。私は内心ドキッとしました。親が子どもに抱っこしてほしいと言うなんて、思ってもみなかったことですもの。今の私なら、自分の膝の上に座らせて「抱っこ抱っこ」と抱いてあげたでしょうに。その時の私は、びっくりするやら、てれくさいやらで、お母さんがしつこく要求しなかったのをよいことに、とうとう抱っこしませんでした。本当にごめんなさい。淋しかったでしょう。
お母さんの「まあ」と「抱っこして」は、生涯忘れられない言葉となりました。
その言葉を胸に、今、お母さんに会いに行くような気持ちで、近くの老人施設へ行っています。紙芝居をしたり、歌を歌ったり、遊んだりして過ごします。皆さんの笑顔がお母さんの笑顔と重なって、幸せを感じるのです。