叔父/伯父へ 40代 福岡県 第14回 銀賞

おいしゃんへ
三宅 優子 様 48歳

 おいしゃんは私がヨチヨチ歩かない前から大人になるまでずっと一緒にいたね。おいしゃんには子どもがいたのになぜか私ばかりかわいがり、それがいつの間にか当り前になり、おいしゃんの子どもはあきらめていたね。

 おいしゃんの愛車は軽トラ。おいしゃんはその日暮しの大工さん。あの軽トラの助手席はいつも私だったね。ガラスを入れてちょっとお金が入ると大きなパフェをご馳走してくれたね。クリスマスには、欲しがっていた大きなおもちゃを持って現れたね。おいしいお店があればすぐに連れて行ってくれたね。私の父が亡くなってからは、私が行きたい所があって電話をすると「今、ガラスを入れよるけん終ったら迎えに行く」と言って必ず来てくれたね。そして山奥のめずらしいそば屋に連れて行ってくれた。父のいない淋しさをふっ飛ばしてくれた。おいしゃんは私を仕事場にもよく連れて行っては馴染みのお客さんに

「てっちゃんの娘にしては小さいな」って言われるたびに「姪っ子」って答えてたのをよく覚えてる。

 勉強しろとも仕事を続けろともなーんも言わない。ただ愛情だけを父のようにじゃんじゃん注ぐ人。今、私には母も父もおいしゃんもいない。でも私は子どもを育てながら思うこと、あんな風に愛情をじゃんじゃん注ぐだけで子どもは立派な大人になれることを知った。これはどんなにお金を払ってもどんなに難しい大学に入っても学べないことだったよ。

 おいしゃんが入院した時、おいしゃんの点滴でむくんだ手をさすった。むくんだ足をもんだ。「おまえをかわいがったかいがあったなあ」って遠くを見ながら言ったね。亡くなる日に病院にかけつけたら目を何度もビクビクさせて合図をしてくれたことわかったよ。それからすぐに天国に行ったけど、間に合ってよかった。おいしゃんのお葬式でおいしゃんの子どもから「あなたがお葬式でおいしゃんに手紙を読んでくれないか」と言われた。

 私しかいない、人前で話すのは大の苦手、だけど私しかいない。私は小さい頃から大人になっても過ごしてきたおいしゃんとの思い出の手紙を読んだ。山奥のそば、二人で食べたバームクーヘンのこと。お葬式が終っておいしゃんの子どもが「やっぱりあなたは特別だった、バームクーヘンなんか食ったことねえし」って大笑いしたよ。父も母もおいしゃんも天国。だけどおいしゃんみたいなお母さんになりたい。あの思い出がずっと私を支えています。悲しくても傷ついても起き上がっています

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