母へ 50代 岩手県 第6回 銀賞 広告掲載

母さん ありがとう
佐々木 貞子 様 57歳

 母さん、もうすぐ母さんの3回忌がやってきます。あの大津波からせっかく助かった命だったのに、まさかあんなに急に病気で逝ってしまうなんて思いもしませんでした。母さんの事を思うと、今でも涙がこみ上げてきます。もう少し生きていて欲しかったな。もっともっと陽だまりにいたかった。

末っ子の私は、実家のすぐそばに嫁ぎ、今では孫まで生まれて幸せに暮らしているけど、いつも母さんは私の体の事を心配していたね。それは、私が先天性の股関節脱臼だったから。若い時から「腰が痛い、膝が痛い」ってずいぶん病院に連れて行ってもらいました。お陰で、普通に結婚、出産することができたけど、ずーっと「自分の責任だ」と思い続けていたんだよね。そんな気持ちが分かっていたから、母さんが生きているうちは、絶対に車いすになったり、足を引きずったりしたくないと思っていたんだよ。

お葬式が終わって1ヶ月くらい経った時、「もういいかな」と仙台の「東北股関節センター」に初めて足を運びました。診て下さったお医者さんが、なんて言ったと思う?

「あなたが受けた治療は、この時代では最高の治療です」

この言葉を聞いた時、お医者さんの前なのに涙をこらえることができませんでした。生まれて1年6ヶ月経っても歩かない私を病院に連れ歩いた1年半。朝3時に起きて農作業をし、朝ご飯の準備をしてから重い私を背負い、病院に通ってくれたんだよね。きっと肩身が狭かったんだろうな。私を歩かせたい一心だったのでしょう。

それから思ったよ。もっと早く病院に行けば良かった。そして、「最高の治療だった」という声を伝えれば良かった。そしたら、少しは、責任という肩の荷が下りたかもしれないのに……。

母さん、ありがとう。「いずれ手術は宿命」と言われたけれど、大丈夫。母さんの思いを胸にがんばれるよ。

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