母へ 70代 新潟県 第15回 入賞

母とおばちゃん
山岸 陽子 様 76歳

母は父親が軍人で戦時中も何不自由無く暮していました。しかし父親が戦死「食いっぱぐれが無いから」と言われ農家に嫁いだのです。そこには明治生まれの自分にも家族や他人にも厳しい舅が、近所の人からも「茄子ひとつもいだこと事のない女学校出のお嬢さんに何が」と心ない言葉も、それは大変な日々だったようです。山仕事の帰り何度逃げようと思ったか、今日こそはと覚悟したら私がお腹にでき諦めたと笑いながら話してくれたよね。そんな所におばちゃんがいました。母があの人にどれだけ助けて貰ったか「義姉さんおれがするから」とキツイ仕事を代ってくれ本当に有難かったと。

 その後おばちゃんも山奥の農家へ嫁ぎ、子育てや年寄りの介護と自分の事で精一杯なのに実家の手伝いに来ては母を助けてくれました。終戦後多くの人達が何も無い中で体を傷めながらも懸命に生きた時代です。母もおばちゃんも涙を隠し辛い日々を過してきたであろうに、苦労の多くは語らず笑顔でいられたのか、少しでも解ってやれなかった事を今は悔やみます。

 母の米寿を祝う日「おばちゃんだけは呼んで」と母に言われ、おばちゃんは歌い踊って体中で喜んでくれました。あの日の二人の笑顔は忘れません。ここの家に来て六十年余り最初の三十年は地獄、後の三十年は天国と言っていた母は十年前体調を崩し入院。難聴の母が看護師さんのホワイトボードに力無く書いた最後の言葉の中に〝わたしはしあわせ〟と言う文字がかろうじて読めたのです。

 葬儀が終り自宅を出る時はご近所の人達多勢に見送られ「良かったね母さん」。生前母から呆け防止だとよく手紙を貰ったのですが、おばちゃんからも時々葉書が届くようになりちょっとした文通が、晩年母と同様筆力が弱くなり文も理解し難くなっていくのは寂しいものでした。そのおばちゃんも今年八月九十六才の人生を終えました。コロナ禍で身内だけの心のこもった葬儀に私は最後の手紙を棺に入れ「母が待っているからね」と顔を撫でお別れしました。もし願いが叶うなら一週間いえ一日でいい、二人で私の所へ戻って来て下さい。手作りのカステラとお茶を用意するよ、楽しい話が天こ盛り! 母には「過酷な年月をよく耐え頑張ったね」と大声で誉めてあげたい。おばちゃんには「母を助けてくれてありがとう、又一緒に山菜採りに行きたいよ」。思うだけで到底叶う事で無く、書いた手紙も読んでは貰えませんが、でもやっぱり……もう一度二人の笑顔に会いたい。

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