母へ 50代 福岡県 第2回 佳作 広告掲載

笑いながら逝った母さんへ
西原 和美 様 62歳

 母さん、今年も又たくさんの秋茜が、山から里へおりてきて、羽をすりあわせ、夕焼の中で赤く光りながら、地下水脈をもとめて低く飛んでいます。母さんが急逝された日も、おびただしい数の赤とんぼがやってきました。

 九十歳直前、母さんは、父さんの23回忌法要の準備が完了していることを、酸素吸入のマスクをはずして私たちに告げ、安心したように微笑し、若くして逝かれた母さんの母さんが迎えに来られたと言って、満面の笑み、そして大笑いしながら、母さんの母さんのところへ還ってゆかれました。残された私たちも母さんの笑いにつられて、笑いながら泣きました。人は笑いながら一生を終れるのですね。

 母は、人の世話をするために生まれてきたのだろう。女学校のとき、伝染病で避病院に入院中に若い母に逝かれ、泣いている暇もなく母親がわりになり、文字通り身を粉にして働き大家族を支えた。次々と出征していく兄や弟、祖父母、小さい弟妹、出産にもどる姉、甥や姪たちのために薪でご飯を炊き、川で洗濯をする毎日。周りのすすめで当時としては遅い結婚をして、11歳上の夫と満州へ。すぐに敗戦。父は抑留され、母は生まれたばかりの姉をリュックに入れ、命からがら引き揚げ。数年後、病身の夫も引き揚げ、長く苦しい戦後の生活が続いた。病気の夫と私たち子供三人を一人で守り育てた。夫の母を介護し、寝たきりの自分の姉も看取った。やっと自分の人生を十余年すごし、秋の朝、急逝した。

 母さん、私も還暦をすぎて、母さんの言葉が、身に染みます。優柔不断で結婚に迷っていたときの一言。「幸せ同志が一緒になってさらに幸せ!? そんなにうまくいくのかね。困ってる者同士がお互いに相手を幸せにしてあげたいという『助け愛』こそ結婚じゃないか」

 母さん、やっぱり「愛は恋より大きい」ね。母さんは、おなかで育て、せなかを見てくれる人でした。ありがとう、さようなら。

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