母へ 60代 岐阜県 第10回 入賞

母さんへ
井上 浅江 様 68歳

 「あなたの人生って、幸せだったァ」

これが私が今一番聞きたい事だよ。白川郷に嫁いで姑と頑固な父に仕え、小さな旅館を切り盛りしながら六人の子供を育ててくれたんだネ。わずかだが田や畑もこなし私の脳裏の中は、働く母さんの姿しか浮かんでこないよ。

山菜が芽ぶく春はゼンマイ、ワラビ、タケノコ等を採りに野山を駆け巡り、それを大きな鍋で茹でたり干したり忙しく働き田畑に出れば、くわやすきを手にし、その手はいつも真っ黒だったネ。赤カブが色づくと長い冬に備え漬物を漬けていた。夜なべに家の前の小川で冷たい水で洗う手は、あかぎれで真っ赤だったネ。白川郷は豪雪地帯だから一冬に何度も屋根の雪降ろしをしなければならない。あなたは八十九歳まで登っていたネ。子供の頃、あなたの爪を切ってあげた時、爪の中まで土で真っ黒な指を見て「なんて汚ない手だろう」と思ったけれど今なら理解できるよ。節くれだってごつごつした太い手のおかげで私達は大きくなったと。働いて働いて働くことで、人生の機微をやりすごしてきたんだネ。楽しい事あったのかなァ。

母さん、私一つだけすごく感謝してる事あるの。私を丈夫に産んでくれた事だよ。だってこの年で毎日八時間野菜の皮むきのパートに出てるんだけど、肩こりも腰痛も感じた事ないんだよ。周りの人が羨ましいって言うの。

母さんにもう一度会いたいな。

母さんの山菜料理が食べたいな。

母さんと下呂温泉に旅行したいな……。

産んでくれて有り難う。

 

P.S. 母さん、白川郷は世界遺産になって、今じゃ村中が観光客であふれかえっているよ。想像できる?

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