幼い頃の夏の思い出といえば、母の実家のある群馬へ出かける事だった。母の運転する車に布団やお弁当を積みこみ、兄妹3人大はしゃぎだった。「こんにちは〜‼」と玄関から元気に挨拶して入ると、カレーライスに田舎うどん、唐揚げやポテトサラダ等、私達の大好物が所狭しと並んでいた。そして迎えてくれる大好きなおばあちゃんの笑顔。
「よく来たね。さぁたくさん食べとくれ」と丸々太ったおばあちゃんはせっせと給仕をしてくれた。背中が丸まって、手がゴツゴツしているのは農家の女だからだよ、と話してくれたね。夏の炎天下、出かけると私はすぐにダウンしちゃったけどおばあちゃんはいつも草むしりや野菜を採りに行っていたね。
緑の少ない場所で育った私に、少しでもたくさん「生きている」物を見せようとしてくれたね。家に帰る最後の日、おばあちゃんは私に「ちょっと畑に行こうか」と必ず連れ出してくれたっけ。手をつないで田んぼ道を通って、おばあちゃんの作った野菜がたくさんの畑へ。ナスやトマト、きゅうりや枝豆。根っこを大地に生やす生命の塊を
手にして、「命」の尊さを学んだ気がするよ。
おばあちゃん、私、帰るのが淋しくていつも田舎を発つ前にトイレで祈ってたんだよ。
「又、来年の夏もおばあちゃんに会いに田舎に来れますように」と。
今年の夏、おばあちゃんに会いに行った。94歳で安らかに眠るおばあちゃんに会いに。死に化粧してもらった顔、とても綺麗だったよ。色白で農作業に追われた人生とは思えない位、小柄な女性になっていた。先に逝ったおじいちゃんに逢いに行く時だからおめかし出来て良かったね。
今も、私は東京に住んでいるけれど少しの緑から「生命」を感じる心を持っているよ。おばあちゃんが小さな時からずっとずっと教えてくれたから。地に根を張る、命の強さと尊さを。
夏がきても、もうおばあちゃんに会えないのはとても悲しくて淋しいよ。でもね、おばあちゃんとの夏の思い出、教えてもらった事は私の中で永遠に“ 生きている“。
おばあちゃん、命のキラメキを教えてくれて本当に、ありがとう。