「君、そこにいるの?」
しずかに眠っていると思ったあなたの声がしたとき、病室の片隅の椅子で、ついうとうとしていたらしい私は、はっとして、あなたの方を見ました。
あなたは、それまで、いつも元気で丈夫で怖いもの知らずだったのに、風邪を重くしたからと病院へ行ったら、癌と診断され、入院、手術、療養、再入院と、妻の私にとっても、夢のような二年間でした。八十キロあったあなたの、体重は四十九キロに、頬はそげ、大きな目と高い鼻の目立つ顔立ちになっていました。
あなたは、闘病中も鎮痛剤で痛みを和らげては、楽しい冗舌で、私を気遣ってくれていましたが、とうとう、この二、三日は、それもかなわず、ついにモルヒネに頼り始めました。お医者様から「ここ一週間位でしょうか」と言われ、私も別れが近いことを覚悟しましたが、あなたには黙っておりました。
急いであなたのそばによると、目を大きくして私を見つめ、ちょっと微笑みながら、
「君に会えて本当によかった。ありがとう」
と、手をさしのべました。
とっさのことに驚いた私は、なんと言ったらよいかわからず、それまで決して見せまい、と決めていた涙があふれて、止まりません。
あなたは私の頭をなでて「泣くな、何があっても、どこに行っても、君を愛しているから」と言いました。そして、夜明けに帰らぬ人となりました。
あのとき、泣いてしまって言えなかった言葉を、二十年たって、やっとあなたに届けます。
「あなたに会えて幸せでした。今も、これからも、あなたを愛しています」