祖母へ 70代 石川県 第10回 銀賞

尊敬する“はは”おばあちゃん
山口 泰子 様 70歳

 お母ちゃんが死んだその日、「今日からこのお婆ちゃんがあんたらのお母ちゃんやぞ」と冷たくなったお母ちゃんの傍らで曲がっていた腰をこころもち伸ばすようにし、あなたはそういいましたね。七十五歳の老いた“はは”は、不憫な“むすめ達”のためにも奮い立ち年齢のギャップを少しでも埋めようと、出来る限りの努力を惜しまなかった。曲がった腰で八百屋や魚屋に買い物に行き、曲がった腰で魚を焼き味噌汁を作り洗濯機を廻し、私達が年頃になりボーイフレンドやデートの話しなどをするようになると、目を細め相槌を打ちながら嬉しそうに聞いてくれ、歳の離れた私達“むすめ”の話題に必死についてきてくれてました。

妹が成人式を迎えた頃には、あなたの腰は九〇度以上に曲がっていました。戦病死したお爺ちゃんの僅かな遺族恩給を少しずつ蓄えてあったのか、あなたは末“むすめ”のために振袖や帯等一式をどんと奮発してくれました。振袖姿の末孫娘とのツウショット写真での、あなたの満面の笑みは五人の“こども”を無事成人させたという安堵の表情に見えました。

二十年間、私達兄妹の結婚、出産と母親代わりとして老体に限界鞭打ちあなたは踏ん張ってくれました。私達に子供が生まれるごと自分やお母ちゃんの若い頃の着物を解いて子供用の布団を縫ってくれました。妹の次女つまり私達姉妹の最後の子どもが生まれた年、あなたの枯れた身体がさらに癌におかされ、病の床で最後の布団を縫い上げると、私達孫のためにぎりぎり一杯生きてくれた命の炎が燃え尽きました。ちょうどお母ちゃんの亡くなった年齢の倍生きて九十四歳でしたね。

私は今年古希を迎えました。目に入れても痛くない孫を持ち、私達姉妹は少しずつ、あの時のあなたの気持ちに近づけるようになってきました。同じ女性として尊敬すると同時に、身体をはって私達孫を護ってくれた“はは”に深く感謝せずにはいられません。本当に有難うございました。

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