安らかな顔をしています。ベッドでの生活が長くなり、体が小さくなってしまいましたね、おばあさん。大正元年に生を受け百二年、最後に選んだ日は穏やかな四月の朝でした。
「おばあさん、歩けるようになりましたか」
「もう、足は痛くありませんか」
去年の今頃は、笑顔が見られていたんだよなあ、って懐かしさが込み上げてきます。
十年前、骨粗鬆症の悪化で、施設に入所した日、おばあさんが遠くなっていくようで、涙がとまりませんでした。なかなか会えない遠距離に、親子のように仲良しだった時間も作れなくなり、もどかしさを感じつつ半年程経った頃でしょうか。晴れた日の昼下がりでしたね。
電話のベルにせかされ、受話器をとると、
「※元気だが、久しぶりだなあ」、聞き覚えのある声。思わず、「おばあさん、どうやって電話かけてるの?」と、返す私。
「松子の電話番号だけは暗記しているんだ。車いすで、やっと公衆電話の前に来たよ」、と照れくさそうに笑っている。「元気だよ」と言う私の言葉を聞くと、安心したように、「残り十円だから。体、気をつけれよ、松子が孫で良かったなあ、また来て……」で途切れてしまった。お金が切れちゃった、とポツンとしているだろう姿が目に浮かび、泣いてしまった。
続きは、「※まだ来てけれな、ばいばい」だよね。いつもの決まり文句だものね。
仏壇に供えた十円玉、届いていますか? おばあさん。今度は私から、
「おばあさんの気丈さを御手本に、元気に頑張っています。百二年生きた先祖が存在した、という事実、おばあさんそのものが御守りです。生まれ変わっても私のおばあさんになってね。ずっと、ずっと大好きだよ。ゆっくり、ゆっくり休んでね。ありがとう、ばいばい」。
※いずれも秋田の言葉で、「元気か」と「また来てね」。